【画像】昔の西洋人が描いた日本地図を見ていたら・・・
昔の西洋人が描いた日本地図を見ていたら、1621年のこの北海道だけが異常発達した図にときめいた。 pic.twitter.com/pAtHoBnbIr
— しかC (@igufoto) 2018年4月21日
コレ ↓ を思い出しました。 pic.twitter.com/ojNxeF4Taz
— キャロサンプ (@infocallithump) 2018年4月22日
樺太ととカムチャッカと一緒の一つの島と思われてたんよな。
— おりた (@toronei) 2018年4月22日
北海道大陸に震える
— 歴屋 (@historyplat) 2018年4月22日
東北から入ったら、このくらい大きく感じるかも
— 旅するイラストレーターこまつきょうこ (@kyoko_komatsu) 2018年4月22日
東北地方の山が目立ちますね。
— mrTangent (@mrTangentHT) 2018年4月22日
当時は「黄金の国ジパング」と言われていたので、もしかしたら金で有名になった涌谷のことを指していたのかもしれませんね。
この頃の北海道ってどんな感じだったのか
— yuu (@yuu52616361) 2018年4月22日
想像しただけでもゾクゾクします
でっかいどうってやつ
— 春栄@不明 (@H1JM2nFeuljlLjy) 2018年4月23日
北海道でかいですもんね pic.twitter.com/4jTEyzgkW9
— Ar clan (@_k_i_n_o_c_o_) 2018年4月22日
これは予想ですが、北海道はまだ日本ではなかったからでは?
— 島津抹茶 (@simadu_maccha) 2018年4月22日
徳川家康が天下統一した数年後の1610年代、家康は鉱山技術提供と交換に外国に沿岸部測量を許可しました。
が、北海道は少なくとも1660年代のシャクシャインの戦いまではアイヌ民族の土地です。測量の範囲に入ってなかったのでしょうね。
あの大地に立つとそういうふうに思うのもわかるぐらい雄大な土地ですよね…!
— 人の素振り (@SubiriSoburi) 2018年4月22日
これ、よく見ると蝦夷が島(北海道)と北蝦夷(樺太)にちゃんと分かれていて、発見されていないはずの間宮海峡らしきものも書かれているので、当時としてはかなりの知識ですね。アンジェリスは江戸初期に松前に滞在し蝦夷地の報告書を残しましたが幕府に捕えられ殉教しています。
— u (@ingansseuregi) 2018年4月23日
TappizakiとかMazuma(松前)と書いてあるみたいですね。蝦夷が島と北蝦夷の間にある陸地は礼文でしょうか。かなり巨大ですが。アンジェリスの報告書にはainoやainomoxoriといった単語が記されていて、これが恐らくアイヌやアイヌモシリという言葉が西洋に知られた最初の記録です。
— u (@ingansseuregi) 2018年4月23日